人の死の功罪

bukky2004-12-22

私の母が乳飲み子の頃から兄弟のように一緒に育った「いとこ」が亡くなった。母が生まれて一歳の頃、実母が病死。4人兄弟の末っ子だった母は後妻である義母には負担が掛かろうと伯父夫婦に預けられる。その後、小学校低学年までの幼い時代を伯父と伯母に育てられた。「伯父」と「伯母」と書いたのは、実父の姉と亡くなった実母の兄が縁有って夫婦となっていたため、母にとってはその伯父、伯母ともに血の濃い繋がりを持っているからだ。その伯父夫婦の子供たちと一緒に育ったものだから本来であればいとこなのだが、それ以上に今でも兄弟のように仲が良い。私が幼い頃、母は実家にも里帰りしたが、伯父の家にも里帰りした。なので私にはおじいちゃんが三人おばあちゃんが三人いた様なもの。親戚と言えども疎遠になっていればたとえ濃い血縁であっても他人と同じ。しかし付き合いの深かった親戚は、お互いに顔を見た瞬間に兄弟と同じ様な親近感と安堵が心を埋め尽くしてしまう。私が一緒に遊んでいたお兄ちゃんは既に孫がいる歳に。そして一緒に食べていたインスタントラーメンは私の一番思い出に残るラーメンとして心に刻まれていたりする。
読経が始まった。お別れのこのときくらいは正座して姿勢を正さなければと思いながらも足の感覚は既になくなっているのが分かる。30分が過ぎた。「もういいでしょう、格さん助さん」と言いたくなるが読経が続く。さらに続く。奥から喪主を呼んでいる。そっと中腰で立ったが足が痺れているのでドタッと崩れほふく前進で奥の間へと消えていった。不躾ながら私は足を崩した。崩した瞬間痛みは弛緩するのだがピリピリとえもいわれぬ痺れがジュワーっと両足を襲う。足を組み返そうとしたら思わぬ勝手に足が動き前の人を蹴ってしまった。(ごめんなさい)
母は乳飲み子の頃に実母を失ったが、大変な苦労と心労を重ねた分だけ自分を慈しんでくれる方々を多く持つことが出来た。そんな母を目を細めながら垣間見た私の脳裏には、これから先起こる葬儀の多さが横切った。母が元気なうちにどこまでの葬儀に出ればよいのか聞いておかなくては・・。